秋晴れの日に、今の私が思うこと、感じること、記録しておきたいこと。
正直、ものすごく落ち込んだ。
気持ちが崩壊して、どこから建て直せばいいか分からなくなった。
気力もどこかに行ってしまった。
昔から、
甘えたで、でもどこか甘え下手で、
しっかりしているようで、実はいつも人任せで、
積極的に選択しているようで、結局どこかレールの上を歩いていて、
わが者顔で歩きながら、隠れてこっそり人の顔をうかがっていて、
無意識のうちに、無難な方を選び、
先ゆく人の姿から、私はどう進むべきかを決めてきたのかもしれない。
でも、
そんな自分に自信を持たせてあげたくて、
幸せになってもらいたくて、
解放してあげたくて、
自由にさせてあげたくて、
小さい頭でたくさん考え、
心をめいっぱい広げて感じて、
文字にすることで思いを整理し、
自分なりに『私の塔』をつくってきたつもりだった。
なんとなく形ができてきて、
あともう一歩、二歩かな・・というところ。
その一歩、二歩を近づくために、今できることを考えている最中だったように思う。
それはとても絶妙なバランスで成り立っている塔で、
あともう少し、あともう少しと言い聞かせることで保っていたのかもしれない。
だけど、実は、完成のための工程に少しづつ違和感を感じている部分もあって。
だけどだけど、
大丈夫、大丈夫と、その違和感に蓋をして進めようとしていたのかな。
その塔が、崩壊した。
そのきっかけは、友人の言葉。
自分でもうすうす感じていた課題を、自分の予想していなかったタイミングで目の前にクリアに差し出されたような、
蓋していた違和感を、とつぜん開けられてびっくりしたような。
勇気を出して伝えてくれた嬉しさと、
言ってくれたことで『汲み取ってもらえずさみしかった私の心』が救われた感覚と、
だけど、
言い当てられた悔しさと、
話せば話すほど浮き彫りになる自分の課題とで、
頭はパニック。
だけど、本当は、課題を浮き彫りにすることが目的ではなく。
もっと軽やかに、自分の心のままに進めばいいんだと言ってくれた。
幸せになっていいんだと言ってくれた。
周りを気にしなくていいんだよと言ってくれた。
今ある環境に、甘えてもいいんだと言ってくれた。
頭ではなく、心で感じて選択していいんだと言ってくれた。
私が幸せでいることは、誰の迷惑にもならないと言ってくれた。
常識なんて脇に置いて、思うままに進もうよと言ってくれた。
塔を作ることが目的ではなく、
そこをどんな空間にしたいか考えようよって。
『私が』、『何を』、『どうしたいのか』。
そんなこと、さんざん考えてきたつもり、選択してきたつもり、
だった。
だけど、本当に自分の心から湧いてくる積極的選択ができてきたのかと問えば、
100%うなずけないのは自分がよく分かっている。
だけどだけど、
そんな自分だから、ひとまず塔を作ることで、
ようやく土台ができてきたと思える今がある。
そして、そんな今の私だから、今なら話せると思ったとも言ってくれた。
遅かれ早かれ、自分で壊すか、誰かに壊されるかの塔だったのかな。
きっとこのタイミングでよかったんだなと思う。
だけど、壊れたことに対するショックはものすごく大きかったようで。
久しぶりにとことん落ち込んだ。
そして、数日経った今、
ようやく壊れた塔を客観視できるまでになれた。
あーあ、壊れちゃった。
そのかけらを眺めて、何を思うか自分に聞いてみる。
・・作るの、やめようか。
もう、どんな塔でもいいよね。
立てたい塔があったとき、目指したい形に向かって、ああでもないこうでもないと必死だったように思う。
それこそ、いろんな人の意見を取り入れてみたり、アドバイス求めてみたり。
新しい機材を仕入れてみたり、使ってみたり。
まっさらになった今、
改めて、
『今の自分』に寄り添って、ひとつづつ、目の前にあるかけらを積んでいけばいいんだなぁと思う。
上を見すぎることもなく、下を振り返ることもなく、
ただただ、一個づつ。
自分の心地のいいものを、積み上げる。
斜めになったとしても、OK
外壁より、中身の空間重視
何より、上を目指して再構築する気力は、今のところ、ない。
思いがけない外からのプッシュだったとはいえ、
そのおかげで、打破され、まっさらになれた。
もっと、もーっと自分にベクトルを向けて、
どこまで自分の気持ちに素直になれるか、心のままを汲み取れるか、
ただただ、『今、中、私』で進むだけなんだよなぁ。
完全復活までにはもうしばらくかかりそうだけど。
こうして書けるまでに落ち着くきっかけを作ってくれたヨガに、感謝。
よく晴れた日曜日の午後に、感謝。
黙って聞いてくれた母、そっと見守ってくれた友に、
感謝。
何より、
伝えてくれた友人に、感謝。
ありがとう。