2018年、30歳の夏
もうと言うべきか、まだと言うべきか、
どちらか分からないうちに、気が付けば7月末。
猛暑や台風、豪雨など、私たちは “ 地球 ” という自然の中で生きて生かされているということを、目の当たりにする夏。
私たち人間も、また、自然のひとつであり一部なのだという認識をもって、
この場所 ( 地球 ) でどう生きていくのか、問われている気がする。
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ここ最近は、頭と心と身体が、どうもうまく一緒に働かないような、地に足着いてないような、そんな毎日だったなぁと。
気持ちや考えにスモッグがかかって、よく見えない、分からない。
色んなことを、自分の中でうまく消化・吸収できない。
でも、少しづつではあるものの、ようやく戻ってきつつある。
わたしは、
自分の言葉で、感覚で、身体で、
しっかり咀嚼できて初めて、自分の真ん中に落とし込めるようだ。
そういう意味で、“ 自分の感覚 ” というものを、とても信頼しているのかもしれない。
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今まで自分の中でじっくり感じて考えてきたことと、新たに得たものとが、
最終的には同じことを言っているんだけども、
自分なりの解釈と言葉で結びつけることができなかった。
でも、一つづつかみ砕いてようやくたどり着きそうな答えは、
結局、
わたしはわたしで良いんだなってこと。
わたしはわたしを、
信じて、感じて、認めて、
そして、“わたし” と一緒に歩いていったらいいんだなってこと。
難しいことは、よく分からない。
ただただ、答えはとてもシンプルだったってこと。
この世界に溢れているあらゆる比較は必要なくて。
何が起こっても、何があっても、
確実なことは、自分の内にあるもの。
だから、もっと信じてあげて、感じてあげて、認めてあげたらいいんだなって。
感覚も、感情も、どれもこれも “わたし” なのだから、その一つ一つを否定しないで受け止めて抱きしめてあげよう。
ここ最近での、本や話や経験から得たことが、ようやく一致し始めてる。
そうやって “わたし” が十分に満たされたなら、その溢れたものが周りにも伝わっていくんだろうから、わがままかなと心配することはない。
まずは “わたし” を見つめてあげること。
それが、とても大事なんだと思う。
簡単なようで、簡単だからこそよく見失う。
でも、その度に、経験や視野は深くも広くもなる。
三歩進んで、二歩下がる。
でも、その一歩の積み重ねが、わたしの歩みになるんだろうな。
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最近は、夜9時や10時には寝て、朝5時ぐらいに起きる生活をしている。
起きたら、ストレッチをして、家のどこか一箇所を掃除する。
時間がたくさんあると思うと、ついのんびりダラけてしまいがちだから、まず寝る時間を決めた。
すると、必然的にそれまでの時間が活きてくる。
時間に限りがあるからこそ、一日を長く有効に味わえる気がするし、すべきこと、やるべきことが見えてくる。
そんなことを感じて、そしてふと思う。
終わりがあるから、それまでの時間をどう使うかを考える。
これって、まさに人生と同じ。
つい、いつまでも “ 毎日 ” が続いていくような錯覚になるけれど、必ずくるであろう終わりのとき。
だとしたら、わたしはどんな時間 (人生) を過ごしたいかな。
やっぱり、わたしがわたしとして、わたしに満足できる時間にしたい。
一時間、一日、一週間、一年、、、
その積み重ね、繰り返しが “ わたしの人生、わたしの道 ” になるのだから、まずは自分が望み、楽しめる道選びを。
そして、いざ歩く時には、たとえどんな道でも、その感触、感覚、景色を目いっぱい味わいながら。
目的地を決めて、そこに辿り着くことをゴールとするだけではもったいない。
そこに着くまでの全てを味わうことを目的のひとつとしたならば、同じ道を歩くのでも、全く違う味わいになるんだろうな。
人生って、時間の使い方。
まさにその通りだと思う。
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大汗かきながら全身で夏の幸せを味わい、そんなことを考える夏。
まだまだ完全復活とは言えず。
毎度、見失って、自分の “真ん中” へと繋がる紐をたぐり寄せて、“ わたし ” と言う舟に戻ってこれて、の繰り返し。
その紐が太く、引いたらすぐに這い上がれるときもあれば、細くて弱くて、一握りごとに確認しながら引くときもある。
そうして上がった舟で気づくことは、結果いつも同じことのような気もするけど。
つまり、それがわたしが自分の軸に置いておきたいことなんだろなって思う。
今は、必死に上がったは良いけど、霧がかかっていてまだ全貌が見渡せない。
ゆっくり、ひとつずつ、と自分に言い聞かせて、これから霧が晴れていく(であろう)段階を味わいたい。
今までより、一層開けた景色が見えると信じて。
( いつしかのオーストラリア、エアーズロック近くで見た朝焼け。)