心の溝掃除
出るわ、出るわ。
心の闇が、ごっそりと。
時間のせい
仕事のせい
環境のせい
プライドのせい
未熟なせい
自信がないせい
食べ物のせい
体質のせい
体調のせい
甘えのせい
苦手なせい
やる気のせい
人のせい
季節のせい
さみしさのせい
恐れのせい
情報のせい
歳のせい
価値観のせい
素直になれないせい
あれも、これも、
せいせいせい、
誰かのせい、何かのせい
そんな選択をしている自分のせい
そんな自分を責める自分のせい
最後の方なんて、なんとあきれるほどの堂々巡り。
いつからせいせい星人になってしまったのだ。
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突然はっとした。
なにかのせいにしている限り、幸せに気付くことはできないと。
万が一、なにかのせいであったとしても、そのために自分の幸せが左右されるのなんて、たまらない。嫌だ嫌だ嫌だ。
それに、たとえ誰かのせいであったとしても、そう選択しているのは、結局自分なのだ。
そして、
そう選択する自分を責めるのであれば、
そう選択しない自分を育て、伸ばすこともできるのだ。
こんな簡単なこと、それに、今までもさんざん書いてきていることなのに、
闇に飲み込まれるのは、ほんとうにあっという間だなと思う。
誰かや何かのせいにしてしまえば、楽で簡単で傷つかずにすむ(と思ってしまう)。
だけど、そうやって『とりあえず』の回避をして、自分にベクトルを向けず、 “私の” 人生を積極的に生きないことで、最後に一番傷ついてしまうのは自分である。
こう気が付いて、思っている以上に喜んですっきりしている気持ちになれて、
誰かや何かのせいにして逃げていることが嫌だったのは、ほかの誰でもなく自分自身だったんだなと思う。
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こうして自分の中で納得できたとき、面白いぐらいに『世界』の見え方は変わってくる。
やっぱり『世界は自分が創り出している』んだなあ。
『 “自分が” 選択する』ということにも、その選択自体にも、責任と覚悟、そして勇気を持つこと
そうして初めて、我が人生は動き始めるんだと思う。
甘ったれでぬくぬくと歩いてきたわたしには耳の痛い話ではあるけど、そうできたとき、良くも悪くも人生はもっと面白くなってくるんだと思う。
自分の人生を生きよう。
一瞬一瞬が、トレーニング。
(三ノ宮の地下街に掲示されていた言葉。その通り!)