マトリョーシカ
マトリョーシカみたいに、
脱いでも脱いでも、開けても開けても、
わたしの中にずっと居続けている感情、トラウマ、しこり、思い込み。
気付くたびに、ああまだいたんだなと思う。
と同時に、
そう気付く度に、マトリョーシカのように少しづつ小さくなっていくその感情と、
それとは反比例して、少しづつ強く持てるようになってきた “自分” 。
でも、脱げども脱げども、まだわたしを支配続けるこの気持ち。
でも、“支配” という選択をしているのは結局自分だと、また気付く。
堂々巡り。
でも、この葛藤さえ、大きな愛の上に成り立っていると気付く恥ずかしさ。
もう、マトリョーシカのように、この気持ちをたくさんの層で包んで隠して気付かないようにしてしまいたい。
でも、最後のひとつを開けて、隠すものや開けるものがもう何もないようにすることができたなら、もっと清々しい気持ちになるのかな。
行ったり来たり、マトリョーシカな気持ち。
じゅもんみたい。