2018.7.3~14 ヴィパッサナー瞑想
ここ最近感じていたことが、全てここに繋がっていた。
だからこそ、より一層、自分に落とし込み、深めることができた10日間だった。
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あるがままを受け入れ、じたばたせず見つめることで得られる、平静な心。
ものごとを客観的に捉え、その現実に左右されない、冷静な心。
そうして自分の心が安定するとき、
人は取り繕うことなく、
自分を、人を、そして “世界” を、
ありのまま認め、受け入れ、愛せるんだってこと。
現実は現実でしかないのに、そこに色付けして、その色合いに頭を悩ませたり、悔やんだり、喜んだり、他人の色が気になったり、うらやましく思えたり。
そうやってみんな苦しんでいるのかもしれない。
そのすべては、自分の心が作り出したものであることに気づかずに。
瞑想の合間に垣間見ることができた、欲も否定もない “世界” は、
つるんとしていて、
どこまでも純粋できれいで、
静かで、穏やかで、
なんて平和なんだろうと感動した。
いかなる場合や状況においても、心を平静に保つこと。
物事を客観的にとらえること。
そして、それを、自分の体の “感覚” を使って観察し、落とし込んでいくということ。
それを、ひたすら積み重ねていくということ。
これが、今の段階でわたしが理解したヴィパッサナー。
宗教でもなんでもなく、どこまでもシンプルで実践的、かつ偉大なメソッド。
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分かってはいたけど、一日10時間 × 10日間瞑想するというのは、実際のところ、身体的にも感情的にも、最初から穏やかだったとはとても言えない。
「瞑想」しているかと思いきや、「迷走」していることも。
身体はばきばきに痛くなるし、いろんな気持ちがうごめいて、落ち込んだり、爆発しそうになったり。
でも、最後の方には、その過程の全てが必要だったんだなぁと。
最終的には、続けて一、二時間座り続けることは苦でなくなっていたし、あんなにおしゃべりだった頭と心も、徐々に澄んでクリアになってくる不思議。
10日間、誰とも目を合わせず、話をせず、携帯もメールも、テレビもインターネットもない。
ただただ、ひたすらに瞑想する毎日。
でも、
心と身体が落ち着きはらっていることが、
「話す」ことをしなくていいことが、
周りに左右されず、平静でいられることが、
こんなにも心地いいとは知らなかった。
将来のことがふっと頭にひらめいたり、
食に対する感覚が変わったことを感じたり、
ここ数年、考え、動いてきたことが、すべてここに繋がっていたんだと改めて納得できたり。
そう。「今」だからこそ、行くようになっていたんだなぁと。
分かったようで、本当の意味では分かっていなかった
「足るを知る」ということ、
「あるがままをありがたいと思う豊かさ」ということ、
「起こること全て、責任は自分にある」ということ、
これらの意味が、ようやく理解できたように思う。
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ヴィパッサナーについて、あまりにも無知で行った今回。
分かったような顔をして書いているものの、まだまだ知らないことばかり。
これから、日々精進していくのみ。
脈絡のない文章だけど、ひとまず、帰ってきた直後の今の気持ちを、あるがままに。
この気持ちもまた、うつり変わっていくものかもしれないから。