スタート地点
前ほど自分を嫌いじゃない。
世間知らずな自分も、
ちゃらんぽらんな自分も、
お調子者な自分も、
甘ったれな自分も。
ま、いっか。それも今のわたし。
と、思える。
それに甘んじ、高みを目指すことを怠けてもいいというわけではなく。
現状の立ち位置を受け入れた上で、
より上を目指すにはどうしたらいいのか考えようというスタンス。
今のわたしから目を背けず、全部引っくるめて自分として受け入れられている感覚が、なんとも心地いい。
自己否定の渦からようやく抜け出し、
ありのままの今を、
良い悪いの判断なしに、ただ認め、受け入れ、
そこを起点としてこの先どう進みたいのかを考えられる。
これが、ずっと探していたスタート地点かもしれない。
あ〜長かった。ここにたどり着くまで。
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昔書いていた日記を読み返していて、
もがいていたんだなぁ。
と、思う。
なりたい理想、行き着きたい場所はあるのに、
そこと、今自分がいる場所との距離をなかなか埋めれなくて、そのギャップにもがいてた。
行きたい、でもなかなかたどり着かない。
結果生まれるものは、そんな自分をだめだと思う気持ち。
でも、変わりたいし、きっと変われるんだと信じていたかったんだよね。
いろんな人の話を聞いたり、実践してみたりするものの、うまくいかず。
どこに行っても、まずは自分を愛しなさいと言われるけど、
そのためにはどうしたらいいのか。
それがなかなかできないんじゃないか。
の、堂々巡り。
頑張らないでと言われても、頑張らないことを頑張っちゃって疲れる始末。
そんなことを繰り返しながら、
でも、ちょっとずつちょっとずつ確実に進んではいて。
大きな一歩、確信付くきっかけは、NZの自然の中にいるとき。
こんなにも壮大な自然を生み出す宇宙は、
たとえ人っこ一人でも、無駄な命を生み出すことなんて絶対ないんだろうなと思えたから。
何かしら意味あって生まれたんだろうな。
もしかしたら、もはや意味なんて必要なくて、
宇宙が、わたしに、この世界をわたしとしてただ楽しんで欲しいと思ってくれたのかもしれない。
だとしたら、わたしの存在は、誰がなんと言おうと宇宙が認めてくれてる。
そんなきっと大事な存在なわたしを、自分が自分で幸せにしてあげないで、誰がするんだろう。
最初は小さかったそんな思いが、日に日に大きくなり、いつしか確信としてわたしの中に根付いてくれていたんだなぁ。
その後押しをしてくれたのは、出会った人たちの存在も大きくて。
新たに出会った人も、前から周りにいてくれた人も。
そんな、大切にしたいなと思える人がいてくれることが、自分の中での自信や心強さにつながっているように思う。
日本に帰ってきてから、この変化に何よりも背中を押され、励まされているわたし自身。
ただただ、ありがたいなと思う。
今日ここにたどり着くまでの一つ一つ、
そのどれもが必要不可欠で、
なつかしくて愛しい。
やっぱり、無駄なことはひとつもないんだなぁ。
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ずっと、変わりたかった。
“何か” “誰が” になりたかった。
でも、変わる必要はないんだと気づいた。
以上でも以下でもなく、わたしはわたし。
これから先、
今のわたしは、
何を見て、
何を感じ、
どこに向かいたいのか。
チェンジじゃなくてチャンスを見つめる。
“ない” を見るではなく、“ある” を見るからこそ、そこから拡がる可能性。
地に足つけて、
わたしのやり方で、
わたしの道を。
もう少しだけ、
自分をじっくり味わい充分に満たせたなら、
いつか、わたしから溢れるものを周りに循環していけるように。