嬉しい変化
人を、丸ごと愛せるようになってきたなと感じる。
どんな人も、愛しく思う。
苦手な人や、波長の合わない人がいないというわけではない。
でも、そんな人を含めて、その人の存在そのものは愛しい。そんな感覚。
こう感じるようになって一番楽になったのは、他の誰でもないわたし自身。
自分と合わないところや、腹が立つことにフォーカスしがちだったころより、心地良く、心穏やかでいられる。
そう思えるようになったのは、
わたしの人生に登場してきてくれた周りの人たちのおかげ以外にない。
出会ったたくさんの人たちが、『人間の面白さ』や、『“ 人を信じる ” ことを信じていいんだ』ということを教えてくれた。
ありがたいことに、出会う人は、尊敬できる素敵な人ばかりで、本当にありがたい気持ちでいっぱい。
その人たちが、たくさんの素敵な背中を見せてくれるからこそ、わたしは安心して “ どんな人も愛し、信じられる ” ようになったんだと思う。
もの、人、コト全て含めて色んな出会いがあるけども、そもそも、それを “ いい ” ものにするかどうかは、自分次第の捉え方、感じ方次第だもんな。
出会う人、歩いてきた道、全て自分で選んでいると言えばそれまでだけど、
その全てが絡み合って、今ここに辿り着いたわたしがいる。
小さいころ、学生のころ、
友だちはたくさんいたけど、本当の友だちと呼べる人がいない気がしてさみしさを感じていたことがある。
でも、今、ふと周りを見渡すと、
家族のように、兄弟のように、大切にしたいなと思える人がたくさんいる。
出会った時期や一緒に過ごした時間の長さは関係なく、たとえ一瞬でも、心に残る素敵な出会いがたくさんある。
もちろん、それとは反対のように思えるできごとがないわけではないけれど、
それらを全部ひっくるめて、
そんな人たちとの出会いや、たくさんの経験が、学ばせてくれた。
みんな違って面白いってことを。
どんな人も、みんなそれぞれ、一生懸命、命いっぱい生きているってことを。
自分に合う合わないはさて置き、世の中には色んな人がいる。そうやって世界は成り立っている。
だからこそ、面白い。
無駄な命なんて、無駄な人なんてひとりもいない。
それだけで十分。うまく言えないけど、愛しいと思う理由はそれだけで十分だ。
そして、こう思えるようになってきてからは、一瞬苦手だと思えるような人でも、自分が “ 楽になる ” 見方をできるようになってきた。
自分と合わないところにフォーカスするのか、それとも、まるっと愛して、自分にとって必要なエッセンスを学んで得ることにフォーカスするのか。
自分の内の変化は、外の世界や人の見方さえも変える。
言葉にしようとするとうまくまとまらないのが悔しいけれど、、
出会い、できごと、経験、周りにいてくれる人たち、、
全てに感謝の気持ち。愛しい気持ち。
この心の持ち方は、これからどんな道をどう生きるにしても、無敵になれる気がする。
これは、わたしにとって、とても嬉しい変化。