重要感、肯定感
「みんなばかじゃない。みんな、ちゃんとわかるのよ。だから、ひとつひとつの言葉や行動を大切したいっていつも心に留めている。」
学生のときに行った旅行先の現地ガイドさんが、ふとしたときに言った言葉。
そのときの私にずしんと響き、それ以来ずっと心に残る。
ときどき取り出しては、
その言葉の意味を、眺めたり味わったり自分に言い聞かせたりしていた言葉。
ガイドさんの意図はまた違うところにあったと記憶しているが、
このフレーズだけがやたらと響いた理由は、まぎれもなく、そうできていない自分に言われているようだと感じたからだろう。
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自信がない自分を応援してあげたくて、
いつからか、【自己肯定感】とやらを意識するようになり。
そのおかげで、少しずつ良くはなってきた。
だけど、今思う。
自分を肯定しようとするばかりに、
結果、“周り”は置き去りにして、
ただ、何が何でも“自分を正当化”しようとしていただけではないだろうか。
【自己肯定感】を持ち、自分を認めて大切にしようとすることを推進しつつも、
それと同じくらい、
(言葉を選ばずに言うなれば)
つまりそれって『周りをおざなりにしてもいいってこと?』
という、なんとなくつじつま合わないもやもや感があった。
自分を認めること、優先すること
と、
周りとの境界線、バランス
をどこに取ればいいのか分からなかった。
なんて単純で器量の小さな考え方。
いいわけない。
【肯定感】の意味のとんでもない勘違い。
【肯定感】という言葉に謝りたくなる気持ち。
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気づいたのは、【自己重要感】。
私は、きっと、この世界にとって、とてつもなく重要な存在であるということ。
それを思い出すこと。
それと同時に、目の前の人も、同じくらい重要な存在であると尊重すること。
まずゆるぎない【重要感】があって、
その先の延長上に【肯定感】があるのかなって。
そう考えると、ようやく二点が繋がる気がする。
私の場合、
【自己肯定感】を優先しようとすると、
自分を守りたいばかりに、
相手に軸を傾けることで、肯定感が“減ってしまう”、あるいは“取られてしまう”気になっていたんだなぁ。
(これは、私の末っ子気質の影響も大いにあるかな。)
自分にも、感情があり、
相手にも感情がある。
自分にも家族がいて、
相手にも家族がいる。
自分にも夢があって、
相手にも夢がある。
自分にも日々波があって、
相手にもきっと波はある。
相手には相手の“世界”が広がっていて、
みんなそれぞれの世界の中を一生懸命に生きている。
私も大切な存在で、
あなたも大切な存在だ。
そう尊重することから始めること。
みんなばかじゃない。
私が相手をどう捉えているかは、相手に伝わる。
そんなことを思い浮かべるだけで
どうしようもなく愛しく思える不思議。
見える世界が変わってくる。
その土台に基づいて、その後どういう選択をするかはその都度考えればいい。
逆に言えば、そこさえぶれなければ、自分にも相手にも心地のいいやりとりができるんじゃないかな。
肯定=優先していい、ではない。
自分を守ること=相手をつついたり攻撃していい、ではない。
自己肯定感という言葉に助けられてここまで来れたけど、今ここでもうひとつの見方を投入するとき。
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燻り続けていたガイドさんの言葉と、本で学んだことが結びついて、
ずっと引っかかっていたものが腑に落ちた瞬間。
分かっていたつもりでも、実際にはなかなかできていなかった私。
恥ずかしながら、未熟な私はつい忘れがち。
いつも頭に置いて思い出せるように、
自分にリマインドするための、記録。
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愛は、分けても与えても傾けても、減らないんだ!