変わりゆくもの、変わらないもの
変わらないもの、絶対なもの、
なんて、実はないのかもしれない。
気持ち、コト、モノ、できごと、、
あらゆることは、
捉え方、考え方、立場、タイミング、経験や時代によって、
それぞれ感じ方が異なるだろうし、
ある一瞬において一致する場合があったとしても、
必ず移り変り行くもの、変化していくもので、
その過程で、人はみんな迷ったり悩んだりして、
形を変えたり、互いにすり合わせたりしながら、
進んでいくんだなぁと。
それはきっと、対人でも、対モノでも、対コトでも同じ。
だからわたしはこう思うとか、
だからわたしはこうしたいとか、
そういう結論のある話ではなく、
ただただ、そういうことを改めて実感しただけ。
ただ、言えることは、
変化していく自分に自分でついていきたいし、
周りにいてくれる人と、お互いの変化や進化を喜び応援し合える人間でいたいし、
何に対しても自分にとって心地の良い解釈をできる心を持っていたいということ。
事実は事実でしかなくて、
そこにどんな色を塗るのかは自分次第。
ならば、自分のお気に入りの色を付けて喜んでいたいじゃないか。
その事実に何を見るか、どう感じるか、どんな意味付けをするかは、自由だ。
世界はどこまでも広くて、広くて、広い。
取り得る選択肢も考え方も、無限である。
自分も他人もできごとも、全てをひっくるめて許して愛して生きていきたいと思うし、
そんな風にゆるくて器の大きな人でありたい。
全ては移りゆくもの、でも、この軸だけはずっと変わらずにいたいもの。
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と、ここまで書いて、母と電話。
そしたら、母から出てきた、ある言葉。
『許す』という表現は、とても素敵な表現に思えるし、実際そうであるけど、
でもどこか自分本位な、自分優位な表現な気もするよね、と。
自分とは違うけど、そんなあなたやそんなできごとも受け入れますよ、みたいな。
だから、『許す』というよりは、『信頼する』という言葉がしっくりくるねって。
わたしはわたし、あなたはあなた、無理して合わせる必要も、調和する必要もなくて、
お互いに信頼して認め合い、その上で進化し成長し合えれば、それが全てだねと。
たった一言の表現の違い。
でも、この違いは大きな気付きをくれ、考えを深く掘り下げてくれるなぁ。
今日もまた、ありがたい学びあり。