かっこ悪い自分を知って学んだ100のこと
NZに戻ってきてから約2週間。
え、2週間?たったの? 3か月の間違いでしょ~!
というぐらい、心が、気持ちが、二転三転、滑って転んではたまた一回転してめり込んで、、、暗~いトンネルの中を歩いているような時間だった。
そうしてようやく前向いて動き始められた今日この頃。
前の記事には、
日本でとてもいい時間を過ごすことができ、成長した自分を実感できたなんてこと書いてたけど、
それはそれで事実ではある一方、自分でも気付かないうちに色んな枠やとらわれを取り込んでしまっていたらしい。
それに気づいたのはNZに戻ってきてから。
自分の年齢や身体のこと、仕事のこと、これからのこと、、、。
わたしはわたしで、絶対大丈夫だと分かっているし、自分を信じているし、
なんならここ最近のあれこれで、自分に対する信頼のパイプは太くすることができていたと思っていた。
が、、
いとも簡単にぶれてしまったという事実。
ぶれるというか、かなり揺らさぶられたという方が正しいかな。
軸がなくなったわけでもなく、ずれたわけでもなく、ちゃんとそこにあるのに、あると信じているのに、
揺さぶりが強くて、なかなか見えなくて見つからなくて、でももう探す気力もなくなって、しまいにはあると信じてる自分の気持ちも分からなくなって。
最後に、、、風邪引いた。笑
でも、分かったことは、自分で自分の枠決めて、視野狭めて、その世界の中でひとり勝手にもがいてたということ。
NZに来て約3か月半。
語学学校に通い、旅して、もうNZに満足したわなんて知ったような口たたいて、
どのみち働くのであれば日本に帰って薬剤師した方が自分にとって有利だとかかっこつけて言っちゃって。戻るなら早い方がいいとか焦っちゃって。
誰にかっこつけてんの?何に焦ってんの?
今わたしはNZにいて、自分が望めば何でもできるし、あらゆる選択肢が目の前に広がっているのに、
わたしが見てるのは、『今、ここ、わたし』ではなく、その先にある、自分が作った小さい世界に向かおうとしているわたし。
全然集中してない、今に。
中途半端にしか降ってない、バットを。
そうやって、誰にするわけでもない言い訳を自分にして、逃げてる。
もちろん、ここ(NZ)にいることが全てではないし、ここが世界の全てじゃない。
でも、ここを去るには、去り方がめちゃくちゃ中途半端だわな。
いっぺんバットを思いっきり振ってみてから考えてみたらいいんじゃない?
いつも、わたしは進む前にちゃんと理解・納得してから歩き始めたいタイプ。
だから足踏みしちゃう、その道がどんな道か分かるまで。
でも、今はそんな自分のやり方を打破する良い練習の期間なのかもしれない。
足踏みしていても靴は減るだけだし、トライしてみて、歩いてみて、ダメだったらその時に練り直す。
頭でっかちも時には必要だけど、今はまずは動くこと。バットを構え、降る練習をして、どんな球でもまずは思いっきり振ってみることから始めてみよう。
人生長いようで短いし、自分のやってみたいことはやってみないと。
そんなわけで、NZ出て、今すぐにでもオーストラリアにでも行ってそのあと日本に帰ろうとしていたところだけど、そのプランは却下。
NZで仕事する。
そう決めたら、ぽんぽんぽんと決まり、旅の最中で素敵だと思っていたワナカに行くことに決まった。
レストランで働く予定と言えど、そのオーナーの人にも会ったことなければ、どんなレストランなのかもよく知らないし、家もまだどうなるか分からない。
でも、とりあえず行ってみる、やってみる。
まだ自分でも、ほんとに行くの?ほんと~に行くの??とまるで他人事で信じられない気はするけど、もう飛行機もバスも宿も取ってしまった、、行くしかない^^
この長いトンネルの道中、たくさんの人が話を聞いてくれ、背中を押してくれた。
本当に感謝の気持ちでいっぱい。
ふだんなかなか連絡取ることないのに、タイミングよく連絡くれて、そしてビッグなアドバイスくれた兄に感謝の気持ちでいっぱい。いつもふらりと現れては良いこと言って去っていく。笑
どんな道でも大丈夫、やりたいようにやってみなさいといつも応援してくれる母に感謝の気持ちでいっぱい。
トンネルにいた時間が長すぎてまだ目の前にはもやがかかっているけど、歩き始めたら風が吹き飛ばしてくれるかな^^
迷ったとき、いつも自分の視野の中にある選択肢の中から選んでしまいそうになるし、ついそう自分でもフィルターをかけてしまうけど、
たぶん、世の中にはやり方も生き方も考え方も100億万通りくらいある。いや、おそらくもっとある。
まずはそう信じた上で、じゃあ自分はその100億万通りの中から、今の気持ちや状況にあったどれを選択するのか。
そういうフレキシブルで俯瞰した視野を持てるようになりたいと思う。
準備は入念に、でも時には思いっきり飛び込んでみるダイナミックさも大事。
この過程、今までの人生でも幾度となく同じような道を辿ってきたような気はするけど、
人生はらせん階段だから、同じ線上にある階段に見えても、そこから見える景色は確実により上から俯瞰して見えるようになっていっているはず。
今はまだ分からないけど、今回もまた階段を一歩上がれていればいいな。
明日からの一歩が、わたしにとって実り大きいものであると信じて。。☆彡
タイトルの100は適当。
きっと100以上に学んでる。